被災地にボランティアや取材以外の理由で入るのは、かなり気が引けます。
単なる野次馬になってしまわないか、迷惑がかからないか、不快に思われないか、傷つけないか、忙しい、危険など、行かない理由はいくらでもあります。
しかし建築や造園・土木設計に関わる者としては、専門分野に関わらず、大災害の現場は見ておく必要があると思います。
阪神淡路大震災の時は学生で、今回のように行くか行くまいか迷い続けて結局行けませんでしたが、後で後悔しました。どんな理由があろうがなかろうが見ておくべきだったと。
自然災害の怖さを実感するためだけにでも。
建物や構造物がどのような自然の力で、どのように破壊されてしまうのか、それを防ぐためにはどのように設計しておけばよいのか、映像や写真だけでなく、自分の目で見て実感しておく必要があると思っています。
大災害の際には医療関係者や自衛隊・消防隊・物流・報道・様々なボランティア活動等、立場によって様々なできること、すべきことがあります。設計者としては、災害から学び、今後の設計に生かす必要があります。
被災から半年が過ぎ、原発と放射能関係以外の被災関連の報道が減って来た今、現地を見ておく必要があると感じました。
何ができるわけでもないかもませんが、現在の状況を少しでも伝えたいと思います。
現地ですが、復興はまだまだこれからです。
ようやく瓦礫の撤去が進み、海沿いの道路だけは復旧ができた状態です。
道路以外のインフラの復旧は全てこれからです。
これまで何気なく見てきた海辺の風景のすべてが破壊されています。
コンクリートで固められた護岸や堤防、消波ブロック、擁壁、山止めなどが無くなると、人間は自然の力に対してあまりにも無防備で、津波の恐ろしさを実感するとともに、常時においても怖さを強く感じます。
護岸の無い道路だけでも、通常の波も防ぎきれず、恐怖を感じる場所がたくさんあります。
何気ない日常がどれほどの多くの土木構造物に守られていたのか。
祖先が築いてきた物、これから再び造り直さねばならぬ物の大きさを思うと気が遠くなります。
気仙沼近く。瓦礫を撤去した後は一面原っぱになってしまっています。
一番早いところは建物の着工が始まっています。
南三陸町は低地部が広く、見渡す限りの被害を受けています。
海側は地盤の低下のため海水が入り込んだままで、復旧が進まない状況が今も続いています。
下は陸地だった場所。気仙沼・南三陸町等比較的大きな街は復旧の端緒についたところですが、沿岸の多くの小さな街は復旧に手がつけられない状況がつづいています。
女川近く。つくりかけの道路。
仙台空港近くの平野部。
普段建築・造園設計を生業としている身ですが、図面を引く人間でなく重機が扱える職人であったなら、と強く思いました。
これからは土木・建築職人さんたちの出番が続きます。
微力ですが募金や税金など金銭面での協力や地域の防災への協力等、自分にできることに可能な限り取り組みたいと思います。
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新谷さんコメントありがとうございます。中国の仕事のご縁もあるようですね。今後ともよろしくお願い致します。
はじめまして、北海道出身の元プラントメーカー補助技術者です。以前、仕事で震災前ですが「福島第二原子力発電所」で配管サポートの業務で福島県の富岡町にいました。
私はまだ被災地には行っておりませんが、フルカワデザインオフィス様で、被災地で建築関連事業を行う際に人材が必要になりましたら、協力できる人財(北海道の友人で2級建築士以上の有資格者)を紹介させていただきます。
私は来月から仕事で中国・北京市に行き、数年間しばらく日本を離れますが、東アジアで日本の建築士のお仕事を創造するために自分は何が出来るか現地から御社に情報を提供させていただきます。